Construction and Deconstruction of the Myth of the Moscow Metro: An Analysis of Metro Images from Georgiy Daneliya’s Films "Walking the Streets of Moscow" and "Nastya" Cover Image

地下鉄言説の解体 ― ゲオルギー・ダネリヤ監督作品『僕はモスクワを歩く』と『ナースチャ』における地下鉄空間 ―
Construction and Deconstruction of the Myth of the Moscow Metro: An Analysis of Metro Images from Georgiy Daneliya’s Films "Walking the Streets of Moscow" and "Nastya"

Author(s): Akiko Honda
Subject(s): Architecture, Studies of Literature, Recent History (1900 till today), Sociology of Culture, Film / Cinema / Cinematography
Published by: Slavic Research Center
Keywords: Construction and Deconstruction; Georgiy Daneliya; "Walking the Streets of Moscow"; Moscow Metro; "Nastya"

Summary/Abstract: 1935 年に最初の区間が開通したモスクワ地下鉄は、スターリン期を通して単なる公共交 通機関以上の空間、何重もの象徴的意味を担う、社会主義リアリズム建築の代表的空間となっ た。たとえば同時期の運河やダムの建設による河川の統御、あるいは航空機による空の征服 と同様に、それは地中という不毛な自然の克服を意味していた。また各地下鉄駅は、シャン デリアや壁画、レリーフなどによって装飾され、労働者のための「地下の宮殿」と称された。 その背後には、ソ連邦の支配階級となった労働者のための交通手段は、その立場にふさわし いものでなければならないというレトリックがあった。単に効率的な交通機関や技術的建造 物であることを超えて、地下鉄駅は利用者がその空間自体から満足を感じられる美的空間 ――「宮殿」――として設計・建設されねばならない。このような当時の言説を、現代ロシ アの思想家ミハイル・ルィクリンは「地下鉄言説(метродискурс)」(1)と呼んでいる。そし てこのスターリン期の地下鉄言説の媒介において決定的な役割を果たしたといっても過言で はないのが、マスメディア、なかでも映画だった。当時首都モスクワを訪れることが困難で あった多くの地方在住者に対しても、映画は地下鉄の素晴らしさを知らしめ、時に実際より も理想的な地下鉄像を描き出した。地下鉄が首都にのみに許された特権的な交通機関であっ たこの時代、映画の中の地下鉄イメージは、ソ連邦内におけるモスクワの唯一無二の地位を 築く上で看過しえない役割を果たしたのである。

  • Issue Year: 2017
  • Issue No: 64
  • Page Range: 135-161
  • Page Count: 27
  • Language: Japanese